あの人にインタビュー


 インタビュー  会報担当 石川 比呂志
      東関東支部 山中会員
 

鯉釣りとの出会い

まだ20代のころ給料のほとんどをパチンコとお酒につぎ込む生活をしていたころです
小学校時代に親父に連れられ教えてもらった、へら鮒釣りをもう一度はじめれば金も使わず、
暇でどうしようもない休日をつぶせると考え、釣り道具を揃えて、いざ一人で小学生時代に
教えてもらった仕掛けや釣り方を思い出しながらはじめてみましたが、どうしても思った通
りに釣れずまたウキをじっと見続けることが性格上どうしてもできず、当時流行りはじめた
バス釣りの道具を購入して一生懸命に竿を振り続けましたが、やはり同じことを何度も繰り
返すことやポイントを何回も移動することが面倒くさくなりやはり釣りは辞めようかどうしようか
悩んでいました。
そんなある日、友人と一緒に釣りにいったとき、市販の吸い込み仕掛けを持っていたので、
それを借りてへら鮒釣りで余っていた餌を団子にして、バス竿につけて投げておきました。
すると掛かったのです。鯉が、バス竿で釣る鯉の引きの強さは、いままで味わったことの無い
ものでした。一瞬で鯉釣りのとりこになりました。ただ餌を吸い込み針に付けて投げておけば
こんなにすごい鯉が釣れるんだ、不精で根気強さの無い自分にはピッタリの釣りだと確信しま
した。今考えると、鯉釣りを真剣に取り組んでいた人には、とても失礼で不純な思いから私の
鯉釣りがスタートしました。


淡水研に入会したきっかけ

高須相談役との出会いがきっかけです。
鯉釣りをはじめて1~2年目くらいのときに高須さんと同じ職場になり一緒にいると面白そうな
人だなと思い、あのころから怖い人でしたが、小判サメのように私はついていました。
そんなある日、職場の懇親旅行の日に高須さんが、「明日お前は何をするんだ? 俺は釣りに
行きます。それも餌を付けて待っているだけで釣れる簡単な釣りです。じゃ俺も連れて行け! 
はいわかりました」といった会話から、高須さんとの鯉釣りがはじまりました。楽しかったです。
二人で試行錯誤してどうしたらもっと大きな鯉が釣れるのだろうと寝てもさめても鯉釣りのこと
ばかり考えていました。
そしてある日、高須さんから「淡水研の人達と一緒に北浦で赤虫を餌に鯉釣りをやるから一緒に
行かないか」と、いつものように声を掛けられ、はじめての北浦での赤虫を餌にした鯉釣りをする
こととなりました。(高須さんは入会していました。)そのころ鯉釣りの難しさも少し判ってきて、
また1mオーバーの凄さも頭の中では理解していたときでした。そんなとき、はじめて見ました。
高須さんが釣ったのです。1m1.5cmの鯉を目の前で見たのです。想像していた以上に迫力
のある大きさに驚きました。 私の頭の中は、「淡水研に入会すれば釣れるんだ、この人達にい
ろいろ教えてもらえば俺でも釣れるんだ」と単細胞の頭は入会、入会、入会させてもらって俺も
メーターオーバーを釣るのだ」と、1998年4月27日付(自分の誕生日)で当時会長でした、
黒川さんに了解をいただき入会させていただきました。

主に行く釣り場

常陸利根川周辺

釣り方へのこだわり(釣りのスタイルなど)

すべての釣り人へモラルもった自由な釣り方をしてもらいたいとの願いと、他人の釣り方への
否定はせず、自分の釣りへの信念は持っていてもだれにも言わないことが、私のこだわりです。
お前に信念もこだわりもあるわけがないだろ!と、みなさん思っているでしょうね!

これからの鯉釣りは?

わかりません。わからない中、試行錯誤していくのがおもしろいのではないでしょうか。
現在、千葉県条例で今まで乗っていた釣専車が乗れなくなり茨城県民の大島さんへ私の
鯉釣りへの想いとともに渡し、また会社の都合上、給料も減り、車を新車で購入してキャン
ピング使用に改造する軍資金がない状況ですが、必ず復活しますので、そのときには初心
に戻り自由気ままに試行錯誤して楽しくやっていきたいです。


自慢のタックル(竿・リール・仕掛けなど)

どう考えても自慢できるタックルはありません。ですが大切に使っているタックルは、15年
以上使っている高須さんからもらったGYOSHINセンサーと竿立です。金の無いときに、
いつもただ同然に譲ってくれました。思い出となる釣果のときには必ずGYOSHINのメロ
ディーを頭の中に残っています。また暴風が吹いてもピクリともしない竿立は本当に大切な
タックルです。これからも大切に使っていきます。

(待ってまーす。車)




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